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アイヌ犬(北海道犬)の中でも私の大好きな系統,そして今も尚、熱心な先生方によって保存されている「千歳(阿久)系」の犬達を紹介します。

千歳(阿久)系         西村 六郎


札幌より東方に四〇km隔てた千歳のアイヌ・コタンで独特な羆(ひぐま)に対する単独猟をするアイヌ・マタギにとっては鉄砲と共に必要欠くべからざる狩猟犬であり、羆に対する猟技猟欲のあるものの淘汰、淘汰の積み重ねで、親から子へ、子から孫へと先祖代々の血が固定された血統の犬である。
ことに戦前、道犬の大先達、伝法貫一先生が千歳アイヌ・コタンに足を踏み入れた当時は、阿加、阿久親子の血が深く沁み込んでいて阿久号の名熊猟犬とし ての名声。熊狩名人としての小山田菊次郎氏
の実績が先生を深く感銘させ、先生の名筆により新聞、犬界紙に宣伝され、日本犬の復興期という時流にも乗り大いに犬界に北海道犬ありと言う評価を高めると共に千歳阿久系の元祖犬阿久号としての不滅の光芒を放つと共に、北海道犬系譜の確立に偉大な功績を果たしたものである。
写真は阿久号生存中の勇姿であり、千歳阿久系愛好の士の理想像であろう。
戦中、戦後の初期の頃は毛皮供出、食糧難という受難時代であり、犬の飼育などは到底不可能な状態のため、阿久号の系譜も風前の灯であった。戦後、いち速く千歳アイヌ・コタンを訪れた伝法貫一先生は、犬友の許にいた阿久号の直子、龍号と阿久号の孫に当たる美光号を発掘し、その組み合わせによりできたのがピリカ・ヌプリ号である。
その後、龍号の直子次郎号(今泉氏)を千歳で発見し、龍号の直子ジロ号(小山田氏)を南幌向で発掘し、これに加えるにピリカ・ヌプリ号と次郎号(今泉氏)の間にできた秀号(伝法氏)。この四頭が、戦後における千歳阿久系の土台犬で、この四者の交流交錯によって系統の基盤ができた。次に秀号とピリカ・ヌプリ号のインブリードで不二号。同じ組み合わせで後胎犬第二熊号の名雌犬が作出された。これがまた堂に入った好対照で、不二号は白色犬、第二熊号は有色犬で、所有者は伝法貫一氏の高弟で道犬界の大指導者であり名繁殖家である柿崎福太郎氏(第二熊号)と岡田昌徳氏(不二号)で、この二人の後継者によって千歳阿久系の系統は決定づけられたのである。



祖犬1 祖犬2